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歴史(韓国は2,333B.Cからの長い歴史があります。)
先史時代
考古学的な調査結果によると、韓半島は70万年前に人類が定住したと言われています。

古朝鮮  (2333 - 108 B.C.)
伝説によると、神話の人物である檀君が、紀元前2333年に最初の王国である古朝鮮作ったとされています。その後、いくつかの種族は、満州南部から韓半島へ移り住みました。人々は約700,000年前から韓半島とその付近に住み始めました。新石器時代は、約8,000年前に始まりました。その時代の遺跡は、韓半島全土で見つかりますが、主には沿岸地域や大きな河川付近で見つかります。 青銅器時代は、現在のモンゴルと韓半島で紀元前約1,500~2,000年に始まりました。満州の遼寧省地域や韓国北西部に多くの部族が現れ、韓民族を作ったとされる檀君が一帯を支配していました。紀元前数千年も昔から存在していたという事実は、韓国の歴史の長さを表しています。


三国時代(57 B.C. - A.D. 676)
三国時代(四世紀初期から七世紀中期)は、高句麗・新羅・百済の三国が、韓半島の支配をめぐって鼎立していた時代です。
高句麗
古代の韓半島は、三国の中で高句麗が大部分を占有していました。紀元前37年に建国され、韓半島の北部と満州中南部を領土としていました。高句麗は、中国との戦いにおいて、領土をさらに拡大しましたが、668年、唐と新羅の力に屈しました。
新羅
三国のうちの一つで、新羅は漢半島の南東から始まり、紀元前57年から西暦935年までの992年間、存在していました。中国の唐と力を合わせることにより、百済と高句麗を次々に征服しました。その後、唐はもはや新羅の同盟ではなく侵入者とみなされ、新羅は高句麗と百済と共に唐を駆逐し、大同江と元山湾の南部に最初の統一国を建国しました。
百済
三国の一つで、百済(紀元前18年~西暦660年)は韓半島の南西部に、 温祚王が建国しました。西暦660年には、百済は新羅と唐の連合国によって滅びました。




新羅と 渤海
6世紀中ば頃までに、新羅は、 伽耶諸国を駆逐し、支配していました。中国の唐との連合で、新羅は668年、韓半島を統一し、8世紀半ばには、絶大な勢力を誇っていました。そして、仏教国を設立しようとし、仏国寺は新羅時代に作られました。しかし、 貴族たちは贅沢三昧だったため、仏教の社会秩序は悪化し始めました。新羅は、676年に唐を駆逐し、698年には、滅ぼされた高句麗の人々は満州の中南部に住んでいましたが、 靺鞨の人々と共に、渤海を建国しました。
統一新羅時代(676-935) 
統一後の新羅では、文化と芸術が発展し、仏教も大衆化されました。しかし、935年、権力争いにより、高句麗に合併されました。
渤海(698-926) 
高句麗が滅びる寸前に渤海は建国されました。高句麗の将軍である大祚栄が従えていた軍と、滅びた高句麗にいた人たちと共に建国しました。渤海は 中国の北東部を領土にできるほどの力がありました。

高麗(918 - 1392) 
王建によって建国され、都は松岳(現在の開城)としました。 王建は王朝に高麗と名づけ、現在の韓国名がそれに由来しています。 陶磁器(青磁)や仏教、 金属活字の発展した時期です。1234年に、グーテンベルグ聖書が活字印刷によって印刷される2世紀以上も前に、韓国では、仏教聖典が大きな木版に刻まれ、完成していました。これらの木版は、8万枚以上を数え、ブッダの教えを説き、モンゴルからの侵入者を防ぐ目的のために作られました。この経典は八萬大蔵経と呼ばれ、海印寺に保存されています。




朝鮮王朝
1932年、将軍 李成桂が新しく朝鮮王朝を建国しました。高麗時代に広まっていた仏教に対抗するために、儒教を広めようとしました。また、朝鮮王国は、バランスの取れた政治体制が引かれました。世宗大王(1418-1450)時代には、文化と芸術が発展をとげ、学者たちは韓国のアルファベットであるハングルを作り上げ、当時は「訓民正音」と呼ばれていました。世宗大王の元、天文科学に対する研究も行われ、日時計、水時計、天球儀と天文地図も作られました。 世祖王は、 経国大典と呼ばれる政府の骨組みを確立しました。
1592年に、日本は中国への侵略の道を開くために、韓半島に侵攻しました。海上では、韓国の歴史の中で最も偉大な人物に数えられる李舜臣(1545~1598は敵に対して亀船を配置し、一連の見事な戦術的展開を繰り広げました。そこで使った亀船は世界初の装甲戦艦であるといわれています。
17世紀前半からは、実学が勢い付き、実学を支持する人たちの中では、農業と産業の改善を求めました。しかし、保守政権である貴族たちは急激な変化を受け入れる準備が足りませんでした。
朝鮮時代の後半になると、繰り返される党争が続きました。好ましくない政治情勢を調整するために、 英祖王(在位1724-1776)は、政治のバランスをとろうとしました。この考えにより、王権を強くし、政治の安定を成し遂げることができました。
正祖(在位1776-1800)も政治のバランスをとろうとしました。国王の文書と記録を維持するために、国王の図書館を建て、また政治的、文化的な改革を始めました。この期間に実学が大きくなっていきました。何人かの学者は農業と産業の改革を推す革新歩的な作品を書きましたが、支持する政府は殆どいなかったために、採用されませんでした。

植民地支配
1910年からの植民地支配は、韓国人の愛国心を刺激しました。統治政治では学校での韓国語教育は禁止され、1919年3月1日には、独立を求めた平和的な抗議活動が全国的に広がりました。当局によって抑圧されたデモ参加者や支持者の数は数千人にのぼります。そこから3月1日は独立記念日となり、現在でも祝日となっています。

共和国の創立
第二次世界大戦後、すぐには韓国は解放されませんでした。米軍が韓半島の南半分を占有していたので、独立政府を作ろうとした韓国の努力は報われませんでした。そして、韓半島北部はソ連が支配していました。1947年11月に、国連総会は国連委員会の管理の元、 総選挙実施を可決しました。しかし、ソビエト連邦は決議に従うことを拒否し、韓半島北部への国連委員会の立ち入りを禁止しました。このため、国連総会は、それから、国連委員会が立ち入ることができる地域での選挙実施を実施するというもう一つの決議を採択しました。
38度線の南である韓国では、初の選挙が1948年5月10日に行われました。この38度線は、韓半島を南側と北部に分けるようになりました。 1948年、 李承晩は韓国ではじめての大統領に選ばれました。一方で、38度線から上の北朝鮮では、共産主義政権が金日成の指揮の下で設立されました。1950年6月25日に、北朝鮮は突然韓国に侵入を開始し、アメリカ、中国、その他外国軍を巻き込ん3年間の戦争を引き起こしました。停戦は、1953年7月に調印されました。

韓国1960年代から、輸出主導型の経済発展を遂げています。1970年代に「漢江の奇跡」という言葉を生みました。その後、ソウルは1988年に24回目のオリンピック開催国となり、2002年には日本と共にFIFAワールドカップサッカーを共催しました。これらの出来事を通して、韓国は豊かな文化遺産と芸術、現在の科学技術の力を世界に示しました。1950年代には、韓国は貧困国の部類に属していましたが、今日では韓国経済は世界で13番目となるまでに発展し、今後全世界の経済リーダーになれるように更なる発展を目指しています。 大韓民国は、成熟した民主主義と市場経済への道を着実にたどりました。たとえ停戦状態がいまだに韓半島で長引くとしても、韓国は今日、更なる経済発展を遂げる準備ができています。南北朝鮮は、韓半島での長く変わらぬ平和へ向かって動き、平和、和解、協力を通して南側と北朝鮮のための繁栄に向かって進んでいきます。